泣きながらでも勉強しなきゃ、ぼくたちは強くなれない。

ガチで語る

ぼくは、これまで様々な記事の中で、「勉強はしなきゃダメだ」ということをこれでもかというほど言ってきた。

そして、その気持ちは今も変わらないし、勉強しない人間はダメ人間とすら思っている。

しかし、時に泣きたくなること、逃げ出したくなること、「もういやだ」となること、そんなこともあると思う。そんなとき、ぼくはこう言いたい。

泣きながらでも、勉強しなきゃダメなんだ。

勉強しているときに流すその涙は、決して悪いものじゃない。「問題ができない」、「わからない」、「つらい」、そんな感情の塊から出る、心の叫びなんだ。だから、この感情を持っていること、「ダメだということを自覚できていること」にまずは感謝しなきゃいけない。

ソクラテスの言葉に、「無知の知」という言葉がある。これは、「わからないことが分かっている」という状況を指す言葉で、今、きみはまさにこの状況下にある。一見、これは悪いことのように見えるが、実はこれはとても良いことなんだ。だって、何もわからないよりずっと良いことじゃないか。「おれは何もわかってない」、そう感じることは、人に対する思いやりや感謝を考える第一歩なんだ。そして、この「無知の知」は、物事を自分の頭で考えるうえでの第一歩にもなるんだ

なぜ「無知の知」がこれほどに良いものなのか。それは、前にも言ったとおり、人に対する思いやりや感謝を考える第一歩になるから。そして、知らないものに対する好奇心をかき立てる原動力になるからだ。

近ごろよく言われる言葉に、「最近の若い者は」というものがある。もはや一種のネタのようになってしまったこのセリフだが、このセリフは自分と相手との立場の違いが理解できないことから生じる言葉だ。「無知の知」という言葉を知った今のきみなら、このセリフを発する人間がいかに愚かでバカなのか、すぐにわかることだろう。そう。この発言をしてしまう人間は、「人に対する感謝を持たず」、「古い考えをひたすら信じ」、「自分をアップデートしようとしない」人間なんだ。言っちゃ悪いが、人間のクズだ。だから、ぼくたちはこんな人間から学ばなければならない。「知らないということを自覚しなければ、何も始まらない」と。

道がそれてしまった。本題に戻ろう。はっきり言って、勉強はラクなものじゃないし、すぐに結果が出ない分、苦しいところがあると思う。楽しく成長できるのならそれが一番なんだけど、それができるとは限らない。どんなに努力しても、入試に落ちることはある。努力はしばしば人を裏切るんだ。勉強は、その一つの例にすぎない。

一般に、勉強時間とその学習成果は比例しない。というのも、勉強というものは、ある一つの事柄を覚えたらそれがそのまま成果に結びつく、というものではなく、ある程度一定の範囲を理解することで、それが一気に成績へと結びつくものだからだ。つまり、勉強時間と学力というのは比例するものではなく、上のグラフのように、階段状の形になるのが普通だ。そしてそのせいで、ぼくたちはかなりの頻度で「勉強してるのにできない…」「なんでできないの…」という思いを経験することになる。

でも、「泣くのは嫌だ」「苦しいのは嫌だ」などとほざいて、勉強をしない、そんな選択肢は絶対に取っちゃいけない。そんなことをしたら今までの苦労が無駄になるし、何より自分のためにならない。先ほど「努力はしばしば人を裏切る」というセリフを書いてみたが、実はこの言葉には続きがある。そして、これが全文だ。

「努力はしばしば人を裏切る。だけど、努力しなかったことは裏切らない。」

たとえきみが勉強をしても、それが裏目に出ることは往々にしてある。でも、勉強しなかったことはそのまま結果となって返ってくる。たとえどんなに運がよかったとしても、「勉強しなかった」という事実の前には勝てない。このセリフは、こんなことを主張している。

言われてみれば、確かにそうだった。高校3年の夏、ぼくは大学入試なんかそっちのけで遊んでいた。「どうにかなるっしょ!!」、そんな気持ちが、ぼくの中にはあった。そして翌年。ぼくは入試に落ちた。1つ残らず。完膚なきまでに叩き潰された。本当に辛かった。目の前に「浪人」の2文字が見えたとき、ぼくはこれまでにない恐ろしい絶望感にさいなまれた。

しかし、ぼくはここで気づいた。「落ち込んでる暇なんかない。勉強しなきゃ、次はない」と。そして、ここからのぼくは、強かった。毎日S台予備学校に行き、閉館まで勉強。苦しいときは、レストランに行って美味しいご飯を食べ、気を紛らわす。そんな日々がずっと続いた。泣き出すこともあった。髪が抜けて、枕に髪の毛が散乱することもあった。いろんなことがあった。いろんなことがあって、そのたびに勉強することをやめようと思った。でも、その選択肢だけは絶対に取らなかった。歩みを止めることは、自分をダメにすることになる、それをものすごく感じていたからだ。

歩みをとめた人間は、成長できないんだ。

そう信じて、ぼくは1年間を過ごした。結果として第1志望の大学には合格できなかったけど、ぼくはそれを後悔してないし、むしろこれで良かったと思ってる。全力でやった結果、最高の結果を得ることができなかった。「努力はしばしば人を裏切る」、これが体現されてしまった。でも、それで良いんだ。全力でぶつかって、それでダメだったなら、仕方ない。重要なのは、結果じゃない。過程だ。たとえその結果が良くなかったとしても、その過程が最高のものであったなら、それは成長につながる。合格できなかったことは確かに残念だけど、後から振り返ってそれが自分の成長につながっているのなら、それで良いんだ。そう解釈して、ぼくは今日も強くなろうと努力を続けている。これが正解なのかどうかは正直わからないが、あの林修先生も同じことを言っているし、これが正解だと、ぼくは信じている。

最後に、今苦しんでいる人に、伝えたいことがある。

世の中、苦しいこと、つらいことなんて数えきれないほどある。そして、それはときに逃げ出したくなるそうな辛さを伴うこともあると思う。でも、絶対に達成しなきゃいけないことがあるときは、そこから逃げちゃいけない。本当に強くなりたいのなら、そこに全力で立ち向かうしかないんだ。もがいてもがいてもがいて、その先にしか成果はない。停滞期なんてあって当たり前。だって、世の中はそうやって作られているんだから。

だからこそ、みんなには「諦めない心」を持って、目の前にあることに全力で挑戦してもらえれば、と思います。

それでは。今日も良い一日になりますように。

<今回紹介した記事>

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