「有益っぽい情報」に触れて、それと同じことをして満足してませんか?

ガチで語る

Twitterをやっている身としてこんなことを言うのは正直嫌なのだが、最近のSNSを見てると、「有益っぽいこと」をして満足している人間があまりに多いなぁ、と感じてしまっている。有益なことではない。「有益っぽいこと」だ。

Twitterで流れてくる大量の情報を流し読みしてそれで満足したり、たとえ情報発信をしていても、それは誰かのツイートを丸パクリしただけ。「有益だけどもう見た」ツイートや、「有益そうに見えるけど、正直見たいとは全く思わないし、はっきり言ってつまらない」ツイートを本当に良くみかける。要するに、「有益になりそうな情報発信」をしているにも関わらず、その内容は何の魂もこもってない、ただのペラペラなつまらないもの、そんなツイートを死ぬほどよく見かける。ぼくもよくやってしまうのであまり文句ばかり言えるわけではないのだが、本当に残念だ。

本当に大切で有益な情報は、Twitterの140字や、YouTubeの動画1本で収まるものじゃない。本屋で売ってる200~300ページある本にも収まらないし、こんなブログ1本に収まるようなものでもない。大体、なぜ義務教育が9年間もあるのか考えてみてほしい。本当に大切で有益な情報がTwitterだけで手に入るなら、6歳から15歳になるまで学校に通う必要なんて全くない。大量の教科書を読み込んだり、学習したりする必要も全くない。

では、なぜぼくたちは9年間もかけて小学校・中学校に通うのか。「本当に必要なことを学ぶには、9年間かかる」と国が考えているからだ。国から言わせると、本当に大切で有益なことを学ぶには9年間必要だということらしい。つまり、本当に有益で大切な情報を自分のものにするのにはそれだけ時間がかかる、ってことなんだ。

でも、人はそれだけの時間や、それと同じだけの密度をかけようとしない。忙しいから、金欠だからと、ああだこうだ言い訳して、その辺に落ちてる「どうでもいい情報」を見るだけで満足して、これでいいやってなっている。こういう人を見ていると、実にしあわせな人だよなぁ、と感じてしまう。賢くなった気でいて、それで一日一日を過ごしている。おめでたい人たちだ。頭の中は空っぽなのに、それっぽいことを発言したり、それを仲間たちと共有することで生きている。そんな人たちであふれている。だからこそ、ぼくは今日も勉強するし、自分の頭でしっかりと情報について考える。似たような志を持つ「本当に意識の高い人」と交流を続けるし、教授陣とFacebook上で繋がって、エキスパートたちの意見を生で感じる。それくらいのことをしないと、「本当に有益な情報」は手に入らない。

みんなが信じるインフルエンサーに群がり、そこにいる仲間と集まってそれっぽいことを語り合う。それはそれは面白いことでしょう。ただ、その先に残るものはきみのところにはない。最後に残るのは、「インフルエンサー側の利益」。それだけだ。彼らだって、善意で情報発信しているわけではない。何かしらの理由があって、情報発信をしているのだ。だから、彼らに騙されてはいけない。本当に有益なことは、歯を食いしばって、途方もないほどの時間を投下して、ときには頭を抱えて学んでいくことだ。楽をしたい気持ちは痛いほどわかる。誰だって、「最短ルート」がほしい。それはぼくだってそうだ。でも、楽をして手に入れたものは一瞬で忘れてしまう。「あぶく銭」という言葉があるが、これは情報に関してもいっしょだ。

何かで成功するのに、近道なんて絶対にないんだ。

こんなことを言うと、「そんなことはない!!〇〇さんは良い人!!オレは信じてる!!」なんて言われるかもしれない。でも、それは違う。これさえすればカンタンにお金が稼げる、これさえすれば成功する、そんな言葉で誘惑してくる人間は、みんな詐欺師だ。近道なんてないことさえ分かっていれば、そんな人間に騙されることは全くない。でも、自分は違う、なにかしら特別な近道があるはずだ、そんなことを考えている人間はカンタンに騙されてしまう。甘いんだよ!!

挫折を経験したことのない人間は、「自分は特別だ」と思いがちだ。全力で挑戦して挫折したことのない人間、そもそも挑戦をしてこなかった人間、いわゆる無気力人間と呼ばれる人たちは、幼児時代抱いた「おれは仮面ライダーになれるんだ、プリキュアになれるんだ」という、叶うはずのない夢を抱きがちだ。いわゆるFラン大学と呼ばれるところに通っている人間に、なぜよくわからない情報商材を買ってしまう人間が多くいるのか。それを考えればすぐにわかるだろう。こんな人間は、自分で考えられる最低限の能力を持っていない。だからこそ、「本当に使える情報」と「使えるように見えるだけの、有益っぽい情報」を区別することができず、結果的に敗者になってしまうんだ。

だから、本当の意味で自分にしかないものを手に入れたいなら、本当にスゴいバケモノにボコボコにされて、何が足りなかったのかを分析し、自分を1から考え直す経験をしなきゃいけないんだ。ぼくはそうやって、ここまでやってきた。

有益っぽい情報に触れて、それをマネして、周りから褒められる。これは本当に楽しいし、うれしくなることだ。閉じられた小さなコミュニティーの中にいれば、自分を肯定してくれる人しかいない。そりゃ気持ち良いよ。楽だよ。ただ、そのせまいコミュニティーを出ると、自分はその辺の石ころ程度の価値しかないことを悲しいほど思い知らされた。世の中には本当にすごい人たちがいる。そして、彼らは誰一人として楽をしようとは思っていない。ものすごい量の時間をかけ、誰よりも様々なことを学び、PDCAを重ねて試行錯誤を重ね、改善に改善を重ねてきた人たちだけが、本当に強い人間になれるんだ。

※PDCAについては、下の本でよく学べます。PDCAについて図や表を用いながら実践的に学べることができる良書です。

でも、今の世の中は「有益っぽい情報」であふれている。そして、それを見て満足したい人、適当に情報発信してそれで満足したい人、そんな人であふれている。要するに、需要と供給がマッチしてしまっているのだ。そうであるが故に、インフルエンサーの周りには人が群がるようになっているし、それで勝手に優越感に浸ってる人も多くいる。でも、その見かけに騙されてはいけない。ぼくはそんなぬるい人間とはいっしょにいたくない。だから今日も本を読むし、勉強する。自分を毎日アップデートしなければ、落ちぶれていくだけだ。何か否定されても、それをバネにしてがんばる。否定は、されればされるほど良いとぼくは思っている。そうでもしないと、強くなれないからだ。

「君は、知性にやさしさがない。やさしさについて、もっと考えなさい。」

昨年から、ぼくがずっと考えている言葉だ。正確には、この指摘を受けたのはぼくの友人なのだが、ぼくにも同じことが言える気がして、ずっと考えてしまっている。「やさしい知性」とは一体何なのか。もう1年近く考えているが、結局何が言いたいのか、ぼくはまだわかっていない。でも、この言葉の理解をぼくはあきらめようとは思ってないし、むしろもっともっと勉強して、これが何を意味するのか、わかってやろう、とすら思っている。

ぼくは、今日もアップデートを続ける。ぼくのこのブログも、ぼくのTwitterも、毎日毎日試行錯誤を重ねながら、より良い情報を提供できるようにしていこうと思う。ぼくと馬が合わない人も多くいるし、実際よくリムられる(注:リムられる=フォロー解除される)。それは残念だけど仕方ない。スゴいスゴいとはやし立てられる人は、最終的に腐る。ぼくはそんな人を何人も見てきた。だから、そんな腐敗した世界からさっさと外に出て、本当にスゴい人にボコボコにされなければならない。「有益っぽい情報」に触れる生活はすぐにやめるべきだと、ぼくは思っている。本当に好きな人だけを見て、あとはフォローしつつも適当に流す。でも、そんな人の中にも良いツイートはあるから、そういうツイートには積極的に反応する。それで良いんじゃないか。誰かと群れる必要なんか全くないし、特定の誰かを信者のように信仰する必要もない。自分の頭で考え、自分が信じた道に進んでいく。その結果、孤独になっても構わない。それは孤独ではなく、「孤高」だ。これからも、ぼくは書きたいことを書いていこうと思う。そして、ぼくは強くなるためにこれからも情報発信を続けていく。

それでは。今日も良い一日になりますように。

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